伝心社マイ・ブログ3
  泣いている場合ではない
2024.7.31
 パリオリンピックの柔道の試合で、負けた女子柔道選手が、試合会場全体に響きわたるような大声で泣きじゃくっている姿を見ていて、ふと、昔デパートのおもちゃ売り場で「欲しいおもちゃが買ってもらえない」と泣いていた子供を思い出した。
 この女子選手が、欲しかった金メダルがもらえなくなったと駄々をこねているように見えて仕方なかった。
 インターネットで「柔道の基本精神」と検索してみると、
「精力善用」「自他共栄」に表される基本理念は「身体と精神を最も有効に働かせる」ことにあり、競技における単なる勝利至上主義ではなく、身体・精神の鍛錬と教育を目的としています。
 と記されている。
 それはあくまでも建前で、誰もが勝ちたいのは当然かもしれないが、そうした勝利欲をコントロールするのも鍛錬のひとつである。
 一体この柔道選手は、何を学び、練習してきたのだろうと思った。しかし、メダルという結果ばかりを求めているようなマスコミの報道姿勢にも問題はある。マスコミの存在など気に留めず、自分の道を進むようにしていただきたい。これは、他の種目の選手たちにも当てはまることである。
 
今年も花菖蒲が咲きました
2024.6.23
 今年は全国的に梅雨入りが遅れていたようだが、広島県でもようやく梅雨入り宣言が出された。私の住む福山市は、市の花がバラで、春には「バラ祭り」というイベントも開催されるほど、市内のあちこちの公園でもバラの栽培が盛んに行われている。満開のバラの花の眺めもいいが、個人的には花菖蒲が好きである。バラは秋にも咲くし、花屋さんに行けば1年中、手に入る花のように思われる。しかし、花菖蒲は初夏のこの時期にしかお目にかかれない。
 福山市の東部に春日池公園という公園があって、そこには広い「花菖蒲園」があり、6月になると満開になる。バラほどカラフルではないが、紺や青や白の花が咲き乱れ、その中には木道がしつらえてあって、間近に鑑賞できるようになっている。毎年、きれいな花を咲かせてくれるが、管理する人たちは大変な苦労をされているように見える。また来年も鑑賞できればいいのだが…。
満開の花菖蒲 咲き乱れる花菖蒲
アジサイも植えられている 木道の上を散策できる
 
 ガソリン価格よ下がってくれ
 2023.8.30
 ガソリンの値上がりが止まらない。福山で暮らすようになって、仕事や日常生活で車は手放せなくなっている。いつも近所のセルフ給油所で入れているが、最近はレギュラーガソリンが1L・170円前後である。円安や原油価格の高騰などが値上がりの理由らしいが、当分こんな状態が続くのだろう。
 我われに出来そうな自衛策は、車の使用を控えるか、ガソリン消費量の少ないハイブリッド車やガソリンを必要としないEV車(電気自動車)に乗り換えるくらいのものである。
 私は、6年ほど前から中古で買った旧型のプリウスに乗っている。それが初めてのハイブリッド車であったのだが、実際に乗ってみると、ガソリン消費量が驚くほど少ない。以前乗っていた1500CCのガソリン車に比べて、2倍くらいに燃費が伸びるようになり、ガソリン代は半分ほどになった。
 車検の時期が来て、さすがに乗り続けるのが、はばかられるくらいまで古びてきたので、新しい車に乗り換えることにした。
 ハイブリッド車の燃費の良さを経験すると、ガソリン車に戻る気がしない。ということで今度は中古のアクアにした。まだ、乗り始めて1か月にもならないが、いまのところ問題なく快適に走っている。
 
 
 大江健三郎の死
 2023.3.21
 作家の大江健三郎が亡くなった。インターネットに上げられた死亡記事によると、死因は「老衰」とのこと。88歳でも老衰死する人はするのだろう。経歴やプロフィールとともに、若い頃の座談会の写真が掲載されていた。そこに登場しているのは、大江のほかに、石原慎太郎、江藤淳、開高健である。いずれも戦後の日本文学を語るうえでは無視できない作家、評論家である。しかし、この4人はもうこの世にいない。この世の無常なることをあらためて感じる。
 東大在学中に芥川賞を受賞し、その後長く日本の文学界の先頭を走り、ノーベル賞を受賞したことは広く知られているが、天皇から授けられる文化勲章の受賞は拒否したことを「ウィキペディア」の記事を見て、初めて知り、いかにも彼らしいと思った。私は大江の熱心な読者ではなかったが、その言動が気になる作家のひとりであった。ご冥福を祈りたい。
 
新刊本のご紹介
2022.11.6
 福山市に本社を置く「株式会社外林」は、菓子卸売業にて全国展開をしている企業さんである。2021年度のグループ売上は、658億円余とこの分野では中国地区のトップと言えます。同社がここまで成長したのは、2代目社長外林久忠氏の存在を抜きにしては語れません。現在82歳で経営の第一線からしりぞき、相談役として悠々自適の生活を送っておられる。しかし、30歳前に家業であった菓子卸売業を引き継ぎ、苦労を重ねて会社を育て上げてこられた。その苦労話を一冊の本にまとめて、「自分史」としてこのほど出版された。非売品であるが、編集および出版に当たっては弊社がお手伝いさせていただいた。この本が、末永く読み継がれることを願わずにはおられない。
 私が歩んだ商売人生 「なぜ、右肩上がりの経営が続いたのか?」
◎A5判、164ページ、ハードカバー,非売品
「幸福」を求めすぎることの「不幸」
2022.7.16
 2022年7月8日、安倍元総理が選挙応援の演説中に銃撃されて亡くなった。 その後のテレビのニュースやワイドショーは、この関連の話でもちきりである。これをきっかけに「統一教会」の存在が改めてクローズアップされている。
 現在は「世界平和統一家庭連合」という名になっているが、この旧「統一教会」の金集めの方法を見ると、ベテランの借金取りや暴力団員でもマネが出来ないようなやり方で、金集めをしているように見える。
 宗教行為が、巨額の献金をともなうということは、信仰をもたない人間が平常心で考えれば、「おかしい」と思うはずである。しかし、悩みがあって、なんとか救われたいと願っている人には、献金が巨額であればあるほど、「救い」という「ご利益」があるように思えるのだろう。
 お金持ちが寺社に寄付をすることは昔からあったが、この犯人の家庭のように生活資金をつぎ込み、最後には自己破産するほど献金するというのは、明らかにおかしい。しかし、「信仰」というフィルターを通すとそれが当然のような感覚になってしまうのだろう。
 「幸福」を追求するあまり「不幸」になっている人も多いのではないかと思う。
  まさか、こんなことが本当に起ころうとは…
  2022..3.11
 ロシアがウクライナへ軍事侵攻したとき、多くの人がそう思ったはずである。
 ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が解体され、東西冷戦の緊張関係も解消されたつもりでいた。
 それから約30年が経過して、地域的な紛争はあったが、第三次世界大戦の導火線ともなりうる、これほどの軍事紛争はなかった。
 現在(3/10)もTVのニュースは、ウクライナの惨状と増え続ける難民の悲惨な姿を繰り返し放送している。
 我々は、ウクライナ寄りの西側のマスコミの報道でこの戦争を見ているから、ロシアの一連の行為を暴挙ととらえている。しかし、ロシアの国営メディアがロシア国民向けに放送しているニュースを観ると、まったく逆で、ロシアの正義を繰り返し唱えるばかりである。
 日本に長年住んでいるロシア人の女性が、携帯電話を使って「ロシア在住の国営メディアだけを観ている両親にロシア軍の暴挙を伝えても、ぜんぜん信用されず、逆に叱られてしまった。もう話がまったくかみ合わない…」と嘆いている姿が、ニュースで紹介されているのが印象的だった。
 情報統制をして、自国に都合の悪いニュースを国民には一切伝えず突き進んでいる姿を見て、第二次世界大戦中の日本を想起した人も多いのではなかろうか。
 しかし、21世紀の我々には、スマホやケータイなどの通信手段がある。ロシアでも国営メディア以外の方法で情報を得られる人たちは、また違う見かたをしているようだ。
 一人の人物が、長い間、権力者の座にいると、ロクなことはないということが、よくわかる。一日も早くロシア国民が覚醒するのを願うばかりである。
家を買うならハザードマップで調べてから
2021.9.3
 福山市で給排水衛生設備、上下水道施設、空調設備工事などをしている小畠工業株式会社さんでは、このたび創業100周年を迎えられ、100周年記念誌を刊行された。その制作のお手伝いをさせていただいた。
 福山市の企業の周年記念誌はこれまで何度か手がけてきた。その関連で、市の歴史を調べてみると、これまでも市内を流れている芦田川が氾濫して何度か大きな水害が起きている。とくに最近はまとまった雨が降ることが多く、市内の小さな川が氾濫して、小規模な水害は毎年のように起こっている。
 福山市が公表している最新のハザードマップを見ると、福山は水害に弱い都市であることがよくわかる。現在多くの人が暮らしている、人口密集地域も洪水の危険のあるところが多い。実は福山の市街地の大部分は、江戸時代には海だったところの埋立地で、海抜の低いところが多い。これだけ降雨量が増えてくると、今まで安全だったところもどうなるかわからない。
 福山市に限らず、これから住宅を購入するなら、候補地がその自治体のハザードマップでどうなっているか確認してみる必要がありそうである。
新型コロナ禍のリーダーのあり方
2021.6.6
 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
 昨年春にもこの問題をとりあげた。その時は「1年もすればワクチン接種が終わり、収束の見込みも立っているのでは…」などと考えていた。だが、広島県福山市では、2021年の6月5日現在でも、ようやく高齢者へのワクチン接種が始まったにすぎない。
 日本という国は、先進国のひとつで、そこそこの経済力、危機管理力もあって、すぐれた医療技術と人材を持ち、病院の受け入れ態勢も整い、感染症対策の水準も高いだろう、と勝手に思い込んでいた。しかし、この1年間の政治家、医療関係者たちの発言や行動、対策の遅れを見ていると、期待外れの感は否めない。いつの間にか他の先進国と大きな差が出来てしまったようだ。
 国民に向けてマスクや10万円の給付金を配ることより、とにかくワクチン接種をはじめとした根本的な対策を望む声が多いはずなのに、遅々として進まない。
 私は医学の専門家でもなければ、行政に詳しいわけでもない。普通の国民として今回のパンデミックを見ているにすぎないが、このような緊急事態に際して、国や自治体から住民への呼びかけである、「広報」としてのメッセージが少なく、たとえあっても弱々しく感じられる。そういえば、最近の内閣支持率は「不支持」が「支持」を上回り、菅内閣発足以来、最低となった、と報じられていた。そのせいか、たまにテレビ画面に登場する菅総理の表情はさえず、だいぶお疲れのように見える。もともと「押し出しがいい」とは言い難い人物だけに、この人は風貌でもだいぶ損をしている。
 しかし、最近のリーダーを見ていると、責任は取らない、すぐ開き直る、最後には黙り込んでしまう、という人物が目立つ。このパンデミックは、リーダーたちの情報発信力や危機管理能力が試される機会でもあるようだ。 
 
奇妙な国、中国
2020.9.23
 9月に入り、春から続いたコロナウイルス騒動も少しは落ち着いてきたように見える。秋のお彼岸の4連休は遠出した人たちで、あちこちの観光地も久しぶりに賑わいを見せていた。ふたたび感染者の増加という状態にならなければいいのだが…。
 今回のコロナウイルス騒動で、はっきりわかったことがある。それは、海外からの旅行者がなければ、わが国の宿泊・観光業、小売業などは大きなダメージを受け、海外の工業製品の生産や輸入がストップすれば、日常生活にも影響するということである。
 安い材料費や人件費をあてにして中国などへ生産拠点を移すことは、収益や採算性を追求する企業活動において自然な流れであるかもしれないが、ひとつ歯車が狂うと、たちまち支障をきたすのである。工業製品だけではない。食品でも中国産がシエアを占めているものが多い。これらが輸入されなくなると、現在でも高価な国産食品がますます高くなるだろう。
 もはや好むと好まざるとにかかわらず、中国をはじめとした近隣諸国と友好的な関係を保たなければ、この国は存続できない。
 それにしても、中国というのは奇妙な国である。長い歴史のなかで、漢字をつくり、孔子、孟子のような思想家、李白、杜甫のような詩人を輩出してきた。「故宮博物院」に収蔵されている精緻な美術品を見ると、中国人の美意識、制作技術、徹底したこだわりには感心するばかりである。
 ところが、その末裔たちは、安っぽいコピー商品や著作権を無視したキャラクターグッズなどを平気でつくって、金儲けに目の色を変えている…ように見える。共産主義、社会主義の理念をかかげながら、資本主義にどっぷりつかった国家体制のひずみが、独創性や精神性以上に金銭を尊ぶ風潮をうながしている、とは言い過ぎだろうか。早く、この騒動が終息することを願うばかりである。
「パンドラの箱」はもう開いている?
2020.7.6
 コロナウイルス騒動がいくぶん収まってきたと思っていたら、また感染者が増加傾向にある。最近は人の集まる場所ならどこでも、入口で手指を消毒し、マスクの着用が当然のようになってきた。スーパーのレジ、銀行や役所の窓口、図書館のカウンターにいたるまで、いずこも透明のビニールシートやアクリル板で遮断してある。以前なら異様な光景だが、それが当たり前のようになってきている。
 今後、20年、30年が経過して、ニュースの資料映像にマスク着用の通行人が多かったり、透明のビニールシートごしに会話している姿が現れて、「これを撮影したのは、あの時か」とすぐにわかる、そんなことになるかもしれない。
 ワクチンや特効薬の開発、運用が急がれるが、昨今の温暖化でシベリアの凍土に封じ込められていたウイルスが目覚めたり、熱帯雨林の開発が新種の感染症を蔓延させることになる、という予測もされているらしい。
 ギリシャ神話では、パンドラという女性が、好奇心にかられて開けた箱の中からこの世のすべての悪と災いが拡散した…ということになっている。産業革命、原子力の応用、そしてAI技術の躍進、と時代が進むにつれて、人類は知らず知らずのうちに「パンドラの箱」を開けてしまったのかもしれない。
 
「押し紙」の違法性が認められる
2020.5.20
 2020年5月15日の「ヤフーニュース」の見出しを見て驚いた。
そこには、こう書かれていた。「佐賀新聞の『押し紙』を認定。元販売店主が勝訴、賠償金1070万円 佐賀地裁判決」。
 つまり佐賀地裁が佐賀新聞の「押し紙」の違法性を認めた、というのだ。このような判決が出た例は、これまで私の知る限りなかっただけに、画期的なことだと思った。ちなみに「押し紙」とは、新聞社が発行部数を水増しするため、販売店に注文以上の部数を押しつけたり、注文させたりする行為のことである。独占禁止法で禁じられているうえ、部数水増しは広告主に対する詐欺行為にあたるとして問題視されてきたのである。
 日頃、政治家や企業の不正を追及する、正義の味方のような顔をしている新聞社が、一方ではこのようなことをしているのである。ちなみに、「押し紙」や「新聞販売店・押し紙」のキーワードでネット検索してみると、それを裏付ける記事や意見が多数見られる。私も2年前にこのブログで「押し紙」について書いているので、それを見ていただきたい。→新聞折り込みチラシのウソみたいなホントの話
 佐賀新聞社は控訴するだろうから、今後の動きを注視したい。また、この裁判のことをあえて無視している各メディアも取り上げていただきたい、と思うのは私だけだろうか。
 
タレント政治家の正体
2020.4.15
 今回のコロナウイルス騒動で、全国各地の知事や市長がニュースに登場する機会が増えた。なかでも、千葉県の森田知事を見て驚いた人は多かったと思う。
 私もその一人だが、あの青春ドラマのヒーローだった「森田健作」はどうしてあんなに覇気や存在感のない、つまらないおじさんになってしまったのか。こんな時にこそ県民の先頭に立ってリードすべきなのに、担当者の用意したペーパーをただ読み上げているだけのような気がしてならない。高額な俸給をもらいながら、大した仕事もせずにぬくぬくと生きているとあのような風体になってしまうのだろうか。昨年夏の台風襲来時の対応のまずさもまだ記憶に新しいところだ。
 彼が全盛期にドラマの中で見せていた颯爽とした姿は、あくまでも虚像だったのだ。千葉県民は、このタレント政治家の正体にもっと早く気づくべきだった。
 そこへいくと、北海道の鈴木知事や大阪府の吉村知事は好感が持てる。政治家をひとつの職業としか考えてない人物とそうでない人物の違いが現れているような気がするのは、私だけだろうか。
 
暖冬を喜んでばかりはいられない
2020.1.24
 例年にない暖冬ということで、福山でも暖かい日が続いている。しのぎやすいうえに、冬野菜の価格も下がり、喜んでいる人がいる一方で、スキーやスケート客を相手に商売している人たちは客が来なくて困っているそうだ。
 先日も雨ごいならぬ雪ごいをしているスキー場があると新聞で報じていた。自然がいつも人間に都合のいいように変化してくれればいいが、昨今の異常気象を見ていると、台風や集中豪雨はこれからも繰り返し私たちを苦しめるに違いない。
 海外の大国の政治家が、目先の選挙の票集めのために、温暖化防止に積極的に取り組んでこなかったツケが出てきているような気がする。選挙によって為政者を決めるのが、民主主義の原則なのだが、投票する多くの民衆の判断が常に正しいとは限らない。時として、目先の利益や快適さを求め過ぎるがゆえに、後世に禍根を残すようなことも起こるだろう。
 そんなとき、後世のために現在のあるべき姿を提示し、リードしていくのが本来の政治家のあり方…ということなのだが、それには選挙民にもそれなりの見識が求められる。責任は政治家だけのものではないような気がする。
 話は大きく変わるが、岡山県笠岡市の干拓地の菜の花も、1月20日でご覧のように咲き始めていた。
一面の菜の花 近寄ると少し花の匂いがする
蜜バチは蜜を集めるのに忙しい 背後には広大な干拓地が広がる
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