伝心社マイ・ブログ2
セミは本当においしいのか?
2019.9.20
  先日までうるさいくらいに鳴いていたセミもおとなしくなり、近くの公園では晩夏から初秋のセミといわれるツクツクボウシの声ばかりが聞こえる。セミは種類によって鳴き声が違うことはよく知られている。今から半世紀以上も前、私がまだ小学生だったころ、生まれ育った京都市周辺で見られるセミはアブラゼミがほとんどで、それ以外のセミでは、ニイニイゼミやツクツクボウシがわずかにいるくらいであった。
 国内最大といわれるクマゼミや特徴的な鳴き声のミンミンゼミは、昆虫図鑑でしか見られない希少なセミであった。小学生のころ、普段は行かない遠方の山間部へ行ったことがある。そのとき、生まれてはじめてミンミンゼミの鳴き声を聞いた。山中の静寂を破るように「ミーン、ミーン」と鳴く声は実に感動的であった。クマゼミのような南方系のセミは、一生見られないと思っていた。ところが、15年くらい前から本州西部でもクマゼミが現れ始め、最近ではここ福山でもクマゼミが増えてきて、アブラゼミと同じくらいポピュラーなセミになってしまった。これぞ、温暖化のおかげ?である。
 そのクマゼミが、庭の桜の木の上でカマキリの餌食になっていた。カマキリは大きなクマゼミをしっかりとつかんで、頭からむしゃむしゃと食べており、30分ほどで胴体の中が見えるほど食べてしまった。中国では、セミを食べる習慣があるそうだが、カマキリにとってもごちそうなのだろうか。
セミを捕まえたカマキリ セミは暴れるが前足でしっかり抑える
セミの頭の方から食べ始めた 30分ほどで頭の形がなくなった
ドライブレコーダーが模範運転手をつくる?
2019.6.03
 運動不足の解消と日光浴をかねて、週に何度か地域の公園へ通っている。公園まで車で行き、園内の遊歩道を30分ほど歩くのである。先日も駐車場に車を止めて降りてみると、少し青ざめた顔色の老人が、呆然とたたずんでいる。そして、老人から少し離れたところに駐車してある無人の車の前方が大きく破損していた。
 その老人が乗っていたとおぼしき車を見ると、側面が大きくへこんでいる。
「どうしたんですか?」と声をかけると、我にかえったように私を見て、
「バックしていてアクセルとブレーキを踏み間違えてしまった。ああ、うしろに人がいなくてよかった」とその老人はため息まじりに話した。どうやら、駐車中の別の車にぶつけてしまったようである。
 けが人はいないようだし、すぐに警察に電話するよう告げ、そのまま散歩を続けることにした。それにしても 最近、悲惨な交通事故が多発している。しかもその多くが高齢者が引き起こしたものである。
「アクセルとブレーキの踏み間違い」、「道路の逆走」などは初歩的な運転ミスで、高齢ドライバーといえども多くは「自分は大丈夫」と思っているだろう。
 今年、60+α歳になる筆者もまぎれもない高齢者である。16歳で免許を取り、運転から遠ざかっていた期間もあるが、免許保有歴は50年以上。乗り継いだ車もミッション車からオートマ車まで10台以上、セダンもあればワンボックスもあり、合計40万キロくらいは走って来ただろう。パンクしたタイヤの交換や空気圧の調整、そのほか簡単な修理や整備などたいていのことはできるつもりである。
「タイヤ交換も満足に出来ない、そこいらの若いドライバーと一緒にするない!」と胸を張りたいところである。
 しかし、その胸に手を当てて考えてみると、この5年ほどの間に小さな接触事故を2度も起こしていた。
 どちらも物損事故で、私が一方的に悪いわけではないが、それ以前の約40年間、たいした事故も起こさなかった事実を考え合わせると、判断力や反射能力が、若い頃に比べて衰えてきていることは、もはや否定できないようである。
 たとえば、この原稿もパソコンにローマ字入力で書いているのだが、ミスタッチ(誤打ち)の頻度が若い頃より増えているような気がする。
 なにより自覚できるのは、以前ならすぐに思い出せた固有名詞や人名が出てこないことがたまに起こる。顔やカタチなどの画像イメージは浮かんでいるのだが、名前が「?」なのである。
 そんなときは、パソコンで検索することにしている。わかっている特徴などをキーワードとして入力して、検索するのである。
 自動車の分野でもIT技術を駆使して安全性を高めようという動きは進んでいる。運転の完全自動化はもっと先の話だろうが、ペダルの踏み間違いを防止する装置や前方の障害物を感知して、自動的に止まる装置を搭載した車が売り出されている。
 高齢ドライバーがそうした車に乗り換えれば、事故も減るに違いないが、最新の安全装置をつけた車は、新車はもちろん中古車にしてもまだ値段は高く、年金暮らしの高齢者には大きな負担になる。
 かくいう筆者も中古の古いプリウスに乗っており、自動停止のような機能はない。しかし、車のドライブレコーダーが、事故やトラブルの解決に役立った、という事例は多い。そこで、適当なドライブレコーダーをインターネットで探して購入し、自分で取り付けた。
 私のは前方だけを録画するタイプだが、装着してみると、自分の運転に大きな変化が現れた。これまでなら、信号が黄色でも突っ込んでいたのが、止まるようになり、一時停止なども確実にするようになった。要するに運転が丁寧になったのである。ドライブレコーダーは、他車の動きを録画するが、同時に自分の運転もすべて録画される。ということで、模範的な運転を心がけるようになったのだ。これは予想外の効果であった。バック用のドライブレコーダーをもう一台取り付けようと思っている。
福山市の「市の花」はバラである 市内東部「春日池公園」の花壇
満開のバラが競って咲いている バラのあとは花菖蒲が咲く
笠岡市「かさおか太陽の広場」
2019.1.08
 福山の隣、岡山県笠岡市には広い干拓地がある。そのほとんどは農地となっているが、一角に「かさおか太陽の広場」と呼ばれる公園がある。
 たて3000m、横200mほどの細長い公園で、普通の公園のようなグラウンドや芝生スペース、遊具コーナーのほかにローラースケート場、マウンテンバイクやサイクリングのコースなどもあって、休日など子供連れでにぎわっている。
 公園事務所で自転車の無料レンタルもしているので、サイクリングコースを走ってみるのもいい。しかし、ここのサイクリングコースは片道が2キロ以上もあるので、完走するにはそれなりの体力と覚悟が必要である。
 また、公園の中には自動気象観測装置「アメダス」の機器が設置してあるので、どんなものか観察してみるのもいいだろう。
「かさおか太陽の広場」進入路 花壇も整備されている
石の彫刻「集う」 零駒無蔵 作 「そこから風が」 芝山昌也 作
「THE EARTH VIBRATION」 笠岡地方のアメダスの装置
岸田劉生展をのぞいて見る
2018.11.01
 芸術の秋である。ふくやま美術館で「岸田劉生展」を開催していたのでのぞいてきた。JR福山駅の前に福山城がそびえているが、その西側に美術館や博物館などの文化的な施設が建っている。福山のカルチャーゾーンとも言うべき一角で、景観保全がされているので散策にもふさわしい場所である。
 美術館の展示会場へ入って、まず思ったのは「照明が暗い」ということ。どうやら作品を守るために光線の量を制限しているように思われた。それでも作品に近づくことはできたので、おもいっきり顔を近づけて鑑賞した。
 劉生の麗子シリーズのひとつである、「麗子五歳之像」(東京国立近代美術館蔵)に目がとまった。これまで印刷物やネットで見たことはあるが、実物を見るのは初めて。A3用紙よりひと回りほど小さい大きさである。絵画の前、20センチほどに近づいて細部を見たが、細かい筆使いで緻密な描写がされているのに驚く。晴れた日だったので、周辺を少し歩いて岐路についた。
ふくやま美術館入口 美術館前から福山城を望む
美術館前庭の「愛のアーチ」 前庭のブロンズ像、作品名は「絆」
過熱したビールかけに水をかけたい
2018.10.11
 プロ野球ペナントレースも最終段階を迎え、優勝チームの選手たちが、ビールをかけ合い、歓ぶ姿が見られる季節となってきた。しかし、それを眺めていて複雑な気持ちになるのは私だけだろうか。
 私たちの世代は、食べ物を粗末にするな、と教えられてきた。食品尊重の精神は飲み物にも当てはまる。私自身、今はほとんど飲まないが、昔は晩酌のビールが欠かせなかった。安月給だったこともあり、発泡酒が出てから本物のビールは、ハレの日以外には口に入らない、高嶺の花のような存在だった。
 ところがその本物のビールを惜しげもなく、頭からかけ、勢いよく撒き散らしているのを見ると、それが応援してきたチームの選手であってもいい気分にはなれない。しかも、まねをしてファンたちもビールかけをするに及んでは、何をか言わんやである。「経済効果を上げる」というのは、こんなムダを助長することなのか。
 ビールメーカーの心ある担当者は、苦労して大切に造った商品がこんな消費のされ方をして本当に満足だろうか。かけ合いたいなら、色つきの炭酸水で十分だろう。もっと値段の安いイベント用の「ビールかけ専用ビール」のような代替品がそろそろ登場してもいいのではないかと思う。
新聞折り込みチラシのウソみたいなホントの話
2018.09.19
 広告用のチラシなどは新聞に折り込んで配ることが多い。あらかじめ新聞の間にチラシを挟みこんでおき、新聞販売店が新聞を配るのに便乗して一緒に配布するのが、新聞折込の仕組みである。
 実際の折込作業は新聞販売店でやっている。販売店はチラシ1枚ごとに折込手数料をとる。それもチラシのサイズによって料金が違う。料金は全国一律ではなく、広島県ならB4チラシ1枚3円、B3チラシ1枚4円90銭というような具合である。そして、販売店ごとに配布エリアと配布部数が決められている。
 たとえば、全国紙A新聞のT地域は1000部。全国紙Y新聞のS地域は1500部というようなものである。だからA新聞のT地域に折り込むなら、1000部をT販売店に送る手配をすればいいのである。
 ところが1000部折り込まれているはずのT地域の実際の折込部数は、735部だったり690部だったりする。にもかかわらず1000部送れば、それがすべて折り込まれたものとして、折込料を払わねばならない。
 どうしてこのようなことが起るのか、それは新聞販売店が常に新聞社からノルマを課せられているからである。新聞社はT販売店に1000部は売ってくださいと、目標部数を一方的に決めて、送りつけ、買い取らせる。そして、それを実売部数であるかのように公表する。それが配布部数としてまかり通っている。
 その結果、新聞販売店には売れ残りの新聞や、折り込まれない余剰チラシが大量に残ることになる。
 新聞販売店の近所の人は、専用のゴミ収集車が定期的にやってきて大量の紙のゴミを集めて行く光景をいつも見ているはずである。新聞社が発表する水増しされた実売部数を信じて送ったチラシの広告主もすべて折り込まれたものとして折込料を払っているのである。
 新聞への折込作業は各販売店の店内作業で、チラシの広告主や利害関係のない第三者が作業を確認しているわけではない。いわば信頼関係で成り立っているのである。しかし、この折込作業は残念ながら信用できない。
 政治家、企業の不法行為や不正を暴いて書きたて、いつも正義の味方のような顔をしているA新聞やY新聞、M新聞などの直属の販売店がやっている一連の行為は、まるで詐欺ではないか、と思う。
 私の言っていることが信じられないなら、「押し紙」というキーワードでインターネット検索してご覧になればいい。私も最初は「まさか!」と思ったが、チラシ折込に永年携わり、いろいろな話を総合して、信じるにいたった。
 だから、チラシ折込の手配をするときは、公開されている折込部数表で1000部となっていれば、800部というように、だいたい八掛けくらいにしている。それでも、チラシが折り込まれていなかったというクレームは一度もない。
 たとえば、折込部数表の該当地域の合計が5万部とする。そこへ折込料1枚3円のB4チラシを5万部折り込もうとすると、15万円(税別)の折込料が必要であるが、実際にはその八掛けの4万部、12万円(税別)で目的が達成できることになる。当然、印刷部数も減らせることになる。
 日刊紙や週刊誌などの定期刊行物は、発行部数はできるだけ多いほうが、広告を集めやすいという理屈は分かる。そのためどの出版社も水増しした「公称部数」を掲げることは昔からあった。その数字は、あくまで架空のものである。
 しかし、新聞社がやっている水増し印刷は、新聞販売店の詐欺行為をうながすだけでなく、大量の資源の無駄になっている。読まれずに闇に葬られる膨大な紙のゴミが常に生まれているのだ。新聞紙面でエコな暮らしを推奨するような記事や広告を掲載していながら、実際にやっていることはこれである。
 その矛盾に気がついても、多くの新聞関係者は目をつむっている。理由は、自分たちの立場や生活を守るため、つまり生きていくため、といったところだろうか。もちろん新聞記者たちも「押し紙」は知っている。
 そんな新聞記者連中に、大臣や政治家の金の使い方や失言を糾弾する資格があるだろうか。建前論や正論主義をふりかざすなら、まずご自分たちの足元の「押し紙」問題を解決してからにしてはと申し上げたい。
 そして、新聞社と資本的なつながりの深い民放テレビ局もどういうわけか「押し紙」の問題についてはいっさいふれない。私から見ればぐるになって、隠しているように思われて仕方がない。
 だから、テレビに登場する多くのコメンテーターやジャーナリストと呼ばれる人たちも営業用の正義や正論を繰り返すだけのようにしか見えない。
 記者会見で新聞記者たちから不正を追及されている大臣が、
「ところで君たちの『押し紙』の問題はどう説明するのかね?」と反論しないものかとそんなことを考えている。
西日本豪雨
2018.07.24
 自然災害に見舞われやすい都道府県のベストテンがあるとすれば、広島県は全国でもかなり上位に来そうな気がする。そして、県内の市町村でも広島市の罹災率が高そうである。
 福山市に移り住んでもう20年ほどになるが、福山へ来た翌年に、広島市で豪雨による土砂崩れの災害があり、それから規模の大小はあっても、2、3年おきに土砂崩れが起きている。そして、今度の西日本豪雨である。
 どうしてこんなに土砂災害が多いのか。テレビに登場する地質学者などの説明では、広島市周辺の山々は、花崗岩が風化した「まさ土」におおわれている所が多く、それが水に流されやすく、豪雨で大量の土砂となって人家を襲うということである。もともと雨に弱い地質のところへさらに最近のけた外れの雨が引き金になっているのである。
 今回の豪雨でも県内各所で大きな災害が起こり、連日テレビのニュースで紹介された。それを見ていると、広島県全体が被災したようなイメージになってくる。
 遠方にいる知り合いのなかには、ニュースを見て「そちらは大丈夫?」とメールや電話をくれる人もいる。
 しかし、福山市と広島市は直線距離で約100キロほど離れており、地形や地質も違う。同じ県でも別の場所と考えた方がいいだろう。
 福山で怖いのは土砂崩れより洪水だと思う。福山はもともと海だったところを干拓してつくった町である。だから海抜の低い土地が市街地の大部分を占めている。そこに住んでいる多くの人は、自然災害とは無縁であると思っているだろう。しかし、ちょっと福山の災害の歴史をひもとくと、これまで何度も水害に遭っている。市内中央を流れる芦田川の堤防が決壊し、広い地域が浸水する、ということが大正8年と昭和20年に起っている。
 それは福山市の洪水ハザードマップを見ても明らかだ。一階が水没するほど危険な地域がかなりある。最近の雨の降り方をみていると「想定外の災害」が、これからも繰り返し起りそうである。
 福山に限らず、これから家を買おう、建てようとするなら、まず、自治体が公表しているハザードマップを参考にして選定する必要がありそうだ。
笠岡市干拓地のポピー
2018.05.24
 福山市は広島県の東端に位置する街である。国道2号線をちょっと東へ行くとすぐに岡山県に入り、そこは笠岡市になる。ここには海を干拓した広大な農地が広がっている。その一角に季節の花々を咲かせて一般に開放している花畑がある。近くには「笠岡ベイファーム」という道の駅があって、その集客も兼ねているようだ。春は菜の花やポピー。夏はひまわり。秋はコスモスというように、冬場を除いて年中花を咲かせている。ちょうどポピーが満開だったので行ってきた。
笠岡ベイファーム 展望台のような場所もある
赤とピンクが多い 可憐な花である
福山だより 2 「広島カープ}について
2018.05.23
 福山に住みはじめてすぐに気づいたことがある。
 それは、広島のローカルテレビ局は、視聴者である広島県民が、プロ野球なら「広島カープ」、サッカーなら「サンフレッチェ広島」の熱烈なファンであることを前提に番組を制作し、放送していることである。
 視聴者には県外から来た巨人や阪神ファンもいるだろうし、広島県民でもカープ以外のファンがいるはずなのだが、そんなことはおかまいなしに、カープやサンフレッチェが勝てば喜び、負ければ悔しがるということをシーズン中、日々繰り返している。
 プロ野球に関していえば、私自身、どこのチームのファンでもなかったので、最初の頃は、その問答無用ともいえる思い込みの激しさ、押しつけがましさ、郷土愛の強さに辟易した。
 公平中立であるはずのNHKですら広島放送局発の電波は、カープの応援ムード満載で、カープファンにあらざれば広島県民にあらず、という雰囲気でどんどん応援ムードを盛り上げる。
 登場してくるアナウンサーもすべてカープファンになっている。広島に本社がある民放テレビ局のアナなら転勤は少ないだろうが、NHKともなれば全国規模の異動がある。先日まで名古屋放送局にいて、中日ドラゴンズの応援放送をしていたアナが、広島局に来たとたんに熱烈なカープファンになって登場、ということもあるだろうし、その逆のケースもあるはずだ。
 NHKのアナは、個人的にはどのチームのファンであっても、一旦広島局へ赴任して来れば、カープファンを演じなければならないのである。仕事とはいえ、大変だなあ、と同情したい気分で見ていた。
 だから、夕方のローカルニュースで「カープ特集」のようなコーナーが始まると、チャンネルを切り替えることもあった。しかし、その時間帯は他局もローカル番組を放送中で、そこでもカープ関連番組をやっているということもよくある。 
 とくに2016年は、カープが二十五年ぶりにセリーグ優勝を果たし、県内はお祝いムード一色になった。広島市と福山市は100キロほど離れているが、広島市で優勝パレードや商業施設の優勝記念セールが行われると、その熱気は福山へも伝わってきた。スーパーへ行けば、カープの応援歌がエンドレステープで流され、記念割引セールも行われる。もちろん、広島のローカル局は普段以上にカープ関連の報道に力をいれた。
 そうした現象を最初は冷ややかに眺めていたのだが、カープファンや球団関係者、そして選手のコメントなどを繰り返し見聞して(させられて?)いると、しだいにカープという球団を見る目が変わってきた。
 決して恵まれてはいない球団の台所事情のなかで広島市民の物心両面の応援を得て、苦労してここまで来たこと。そして個性的な選手が多いことや他球団に比べて低めの年俸にもかかわらず、全力でプレイしている姿を見ていると、「よくやってるね」と応援してやりたい気持が芽生えてきた。
 やがて、いつの間にか主な選手の顔と名前を覚え、プロフィールなども知るようになると、これまで見分けのつかなかったカープの選手たちが、人物としてはっきりと見えるようになってきたのである。
 そして、2017年のリーグ戦が始まってしばらくすると、気がついたときには、カープが勝てば喜び、負ければがっかりするような、どこにでもいる普通のカープファンになってしまっていた。
「ボールを棒(バットのこと)で打つだけで、1億や2億円もの年俸をもらえるなんて、おかしい」と言っていた妻もいつのまにか、テレビの前で赤ヘル軍団(赤ヘルとはチームカラーの赤いヘルメットで、「赤ヘル」はカープ球団の代名詞)を応援するようになっていた。
 というわけで、カープの試合がある夜は当然、テレビの前で声援を送り、試合が長引いてテレビ中継が終わると、今度はラジオの実況中継を聞きながら一喜一憂した。その結果、2017年もセリーグの優勝に輝いたが、そのあとのクライマックスシリーズで負け、プロ野球日本一を決める日本シリーズには進めなかった。
 関心のない人は「プロ野球なんてどこが面白いの?」と思うだろうが、並外れた身体能力から生まれる選手たちの個性的なプレイやドラマティックな試合展開は、芸能人の不倫騒動や政治家の不祥事を飽きもせず放送しているワイドショーなどよりはるかに面白い。
 応援しているチームが勝つことも気持いいが、「もうピッチャーを交代させればいいのに」とか「代打を送れば…」などと、試合経過に応じて自分なりの意見や感想を重ね合わせて、監督気分になって観戦できるのも面白さのひとつである。
 さて、今年のカープはこの原稿を書いている5月21日現在、セリーグの首位を走っている。「この調子で今年こそ日本一の栄冠を勝ち取ってもらいたい」というのがすべてのカープファンの悲願だが、さてどうなりますことやら。   了
福山だより 1 都市の魅力と人の魅力を考える
2018.04.04
 福山は広島県の東端にある人口47万人ほどの街である。県内では広島市に次いで人口の多い都市であるが、全国的な知名度はそれほど高くない。
 関東や東北で生まれ育った人に、「福山という市を知っていますか?」と質問をしても、そんな名前の市があることは知っているが、どこにあるかよく分からない、という人が多いだろう。むしろ、「尾道」や「呉」のほうが名前、場所ともに認知度は高いように思われる。両市とも人口や経済規模では、福山よりはるかに下であるにもかかわらず、である。
「観光の尾道」、「古い軍港の呉」に比べて、福山には名前を全国的にアピールする決定打がないのである。
 JR福山駅の真ん前に福山城はあるが、一度空襲で焼け、戦後再建されたこの城は、全国の名だたる名城に比べて規模や外観では、いささか見劣りがする。
 瀬戸内海に目をやれば、「鞆の浦」という風光明媚な景勝地があって、数年前にはNHKの大河ドラマの舞台にもなり、訪れる観光客は増えたようだが、鞆の浦が福山市にあることを知っている人は意外と少ない。
「鞆の浦への道すがら福山へ来た。せっかくだから駅前のお城でも見て、次は隣の尾道へ行こう。そういえば岡山・倉敷も近いね…」といった感じで、通過点になってしまうことが多い。
 実際、たまに親戚や知人が県外から遊びに来ても、さてどこへ案内しようかといつも迷う。鞆の浦や尾道まで行ってもいいが、そのあたりは行楽シーズンと重なると、人気スポットはどこも混み合って順番待ちの行列ばかり。しかたがないので、海岸線の眺めのいい道をドライブしてお茶を濁す、といったところだ。
 要するに地味な街である。そんなところへ移り住んでもう二十年になろうとしている。私が福山へ来たのは、当時勤めていた住宅会社の支社があったからである。
 京都市内で生まれ育ち、学生時代は東京にいたが、その後は大阪で仕事をしていた。大阪にいるときはいくつかの広告制作会社に在籍し、「編集ライター」や「コピーライター」の肩書きの名刺を使い、こちらでは住宅会社の「情報宣伝部」の担当者として勤めていた。
 しかし、もともとサラリーマンは性に合わず、五十歳を境に会社を辞めてしまった。再就職のあてもなく、かといってたいした貯金もなく、それでもなんとかなるだろうと、根拠のない変な自信だけはあった。
 独身のころはそうして気楽?に転職を重ねてきたが、当時小学六年生の息子と妻を養っていかねばならないこともあって、広告制作事務所をスタートさせた。
 幸運だったのは、私が独立するなら仕事をしてもらおうという住宅会社(辞めた会社とは無関係)があり、パソコンによるデザインや版下制作ができたことである。その会社の仕事をしながら、自作のチラシやパンフレットなどを持って、福山市内の住宅会社、広告代理店を飛び込みで回り、顧客を増やしていった。
 広告づくりの仕事以外に、社史や自費出版のお手伝いもしている。数年前に市内の機械加工メーカーの九十周年記念誌を手がけたことがある。大正末期に福山で町工場として起業し、戦争や高度成長期、オイルショックなどを経験しながら生き残ってきた会社で、山あり谷ありの歴史を会長さんの話を聞きながら社史にまとめた。
 そのとき福山の歴史も調べてみたが、江戸時代以前の福山は、現在の市街地の多くが遠浅の海であった。それを歴代の藩主や領民たちが長い時間をかけて干拓し、農地や宅地にしてきたのである。
 そして、昭和30年代には日本鋼管(現JFEスチール)を誘致し、福山進出が決まると、さらに広大な臨海部が埋め立てられ、工場完成後はその企業城下町として発展してきた。
 JFEスチールのほかに、三菱電機、シャープ、福山通運、洋服の青山など有力企業の工場や本社が点在する。しかし、観光の対象となる歴史的建造物や名所旧跡などに目をやると、福山城やその周辺に神社仏閣がまとまってあるほかは、意外なほど少ないのである。
 苦労を重ねて干拓し農地をつくり、工場誘致にも励んで、ひたむきに働いてきた結果、商工業は盛んになり、人口も増えたが、改めて見直すとどこか面白味の欠ける街になってしまった、というのが福山の姿かもしれない。
 人間でも真面目一方の働き者、タバコ、酒、ギャンブル、浮気も転職も一切しない、というかたぶつは、(私の独断と偏見によると)どこか面白味が欠けて見えるように、都市においても発展過程で真面目すぎると、魅力のない街になってしまうのだろうか。
 しかし、わが人生を振り返れば、若い頃には、人並みにタバコや酒をたしなみ、転職したり浮気(これは秘密)しながら、「人間的魅力の育成」に励んできたつもりだが、60+α歳になった今、その成果がどこまで現れているか、大いに疑問である。
 やはり硬と軟のバランスが大切のような気がする。もう「人間的魅力の育成」の実践は無理だが、その心意気くらいは持ち続けていたいと思うのである。 
 了