伝心社マイ・ブログ1

詩人としての志田静枝 1
2017.8.9
まずは次の詩をご覧いただきたい。
「海辺の村」
通り過ぎた日々の 子供だったころ 小さなシイの実を煎った
からからと煎った 深々と雪降る日に 
雪平なべで シイの実を煎った 海辺の家にいろりがあり
父がいて 母がいて 二人の幼い妹もいた家
あの海辺は今もある けれど父母はもういない 知人も少なくなり
平成改革の波に村名の 小郡(おぐり)村は消えた
私の心の支柱だった村 過ぎ去ってしまっても 
胸の奥に消えることのない 澄んだ小川と輝く石を今も
大切に抱いている
これは志田さんのふるさと長崎の村を思い出して書かれた詩である。
志田さんの詩の特徴は、日常生活の中から生まれたさまざまな情感を普段使いの日本語で綴っているところである。そこには気取りやてらいのない等身大の世界がひろがっている。
今回出されたエッセイ集も等身大の言葉で身辺の出来事を語ったものであるが、随所に詩人としての感性が光っているように感じられる。

志田静枝さんのプロフィール
1936年 長崎県にて誕生
1968年 大阪府交野市に移住
1999年 第一詩集「夏の記憶」 
2004年 第二詩集「菜園に吹く風」 
    「現代詩・平和賞」同人奨励賞受賞
2007年 詩誌「秋桜・コスモス文芸」創刊
2013年 第三詩集「踊り子の花たち」
2016年 第四詩集「夢のあとさき」 
2017年 エッセイ集「渚に寄せる波」 
●関西詩人協会 ●日本現代作家連盟 ●秋桜・コスモス文芸
●日本現代詩人会 ●北九州文学協会 ●小説誌ぱさーじゅ

ヴェルレーヌの詩
2016.8.14
ヴェルレーヌのこの詩は、堀口大学や金子光晴も翻訳しているが、やはり鈴木信太郎の訳が、私にはぴったりくる。まず、この詩の全文を見てみよう。

「都に雨の降るごとく」
都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる
心の底ににじみいる この佗びしさは何ならむ
 
大地に屋根に降りしきる 雨のひびきのしめやかさ
うらさびわたる心には おお 雨の音 雨の歌
 
かなしみうれふるこの心  いはれもなくて涙ふる
うらみの思(おもひ)あらばこそ ゆゑだもあらぬこのなげき
 
恋も憎(にくみ)もあらずして いかなるゆゑにわが心
かくも悩むか知らぬこそ 悩みのうちのなやみなれ

昔、フランス語を少し勉強したことがある。そのとき聞いていたラジオのフランス語講座の教材として、この詩が出てきた。それほど長い詩ではないので、フランス人の発音したものを録音して、それを繰り返し聞きながら暗唱できるまでになった。もう遠い昔のことだが、
Il pleure dans mon coeur Comme il pleut sur la ville,
という最初のフレーズくらいは、まだ覚えている。
ヴェルレーヌでは、もう一つ好きな詩がある。
それを紹介しておく。

秋の日の ヴィオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや
げにわれは うらぶれて ここかしこ
さだめなく とび散らふ 落葉かな
上田敏の訳詩集「海潮音」のなかで、「落葉」として
紹介された歌である。

久しぶりの京都散策
2016.3.14
プライベートの用事があって神戸まで行った。その帰りに京都まで足をのばした。京都は私が生まれ育ったところで、高校卒業まで住んでいた。
東京の私大に在学中、私の実家が京都であることを知った友人が夏休みに遊びに来たことがあった。広島出身の男で、私がガイド役となって、車に乗せて市内の観光地を案内することになった。
京都に生まれ育った人間なら、観光客が行くような名所旧跡など小さいときから何度も行っているように思われるかもしれないが、京都人は定番の名所旧跡などへは案外行っていないものである。
友人を連れて、金閣寺や石庭で有名な竜安寺などを訪ね歩いたが、私にはそのときが初めての訪問であった。
こうした所を歩いて、生活の舞台としてなじんでいた京都の観光地や古都としての側面を知ったといえよう。そして、京都を離れたことで、この街を客観的に見ることができるようになったと思う。

京都に一泊して、翌日は東山のふもと、八坂から高台寺、産寧坂周辺を散策した。このあたりを歩くのは30年ぶりくらいだ。当時に比べれば、観光客の数は飛躍的に増え、それを目当ての商店もやたら多い。
歩いていると、周辺にいる東洋人の観光客が声高に話す言葉が、ときどき聞こえてくる。しかし、それが我々には理解できない言葉であることも多い。
昨今の日本の有名な観光地ではありふれた光景かもしれないが、改めてその多さに驚いた。

この界隈は、坂本龍馬や中岡慎太郎の墓がある霊山護国神社も近い。地下で眠る彼らに、この現象がどのように映っていることだろう。
霊山観音(りょうぜんかんのん)高さは24m 石塀(いしべ)小路の入り口
観光客を乗せて走る人力車 八坂から清水寺へ抜ける二年坂あたり

八木重吉の詩
2015.11.12
八木重吉(やぎじゅうきち)の名や作品と初めて出会ったのは、伊藤整の自伝的小説「若い詩人の肖像」を読んだときであった。そこには、「故郷」という短い詩が紹介されていた。

故 郷
心の暗い日に
ふるさとは祭りのようにあかるんでおもわれる

わずかこれだけである。文字数を数えたら26文字しかない。だが私には、言葉の一つひとつが心にしみるように感じられた。そしてなぜか、子供のころに経験した、夏の夜の盆踊りの情景が思い浮かんできた。
ほかの詩人であれば、このフレーズのあとにさまざまな詩文を書き加えるのだろうが、八木重吉はそれ以上書こうとはしない。言葉やイメージは、いくらでも湧いてくるが、あえて止めることで余韻を持たせようとしたのかもしれない。
トップページの「ほそい がらす」を読んでも「ぴいんとわれた」がらすのかすかな音だけが聞こえてきて、あとは静寂につつまれるように感じられる。

八木重吉という人は、明治31年(1898)に生まれて昭和2年(1927)に29歳で亡くなっている。これらの詩も100年ほど前に書かれたのだが、古さは感じられない。
敬虔(けいけん)なクリスチャンで、学校の英語教師として短い一生を終わった人で、詩人にありがちな放蕩や借金、過度の飲酒などとは無縁の人だったようだ。
最後にもうひとつ紹介しておく。

夜の薔薇(そうび)
ああ
はるか
よるの
薔薇


八木重吉

福山は今日も暑かった
2015.08.03
梅雨が明けたと思ったら、連日暑い日が続いている。最近の暑さは殺人的といっても過言ではないだろう。昼間の不要な外出はなるべく避け、どこか涼しいところでじっーとしているのが一番である。
夕方に犬の散歩をかねて近くの公園に行くと、セミがうるさいくらいに鳴いている。そのセミも昔はあまり見られなかったクマゼミが多い。もともと南方系のセミらしいが、ここ福山でも普通に見られるセミになってしまった。これも最近の温暖化の影響ではないかと思っている。

さて、トップページのポエムを久しぶりに更新した。中原中也の「桑名の駅」である。これは、第一連で、第三連まであるので、すべてを紹介しよう。

「桑名の駅」
桑名の駅は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
夜更けの駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームにただ独り
ランプを持って立っていた

桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ泣いていた
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
ここのことかと思ったから
駅長さんに訊ねたら
そうだと言って笑ってた

桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
大雨の、霽(あが)ったばかりのその夜は
風もなければ暗かった

桑名駅のホームにある詩碑

中也(ちゅうや)の詩は、学生時代に出会い、その中のいくつかの作品は暗唱できるほどであった。彼の詩には独特のリズムや調子があって、覚えやすく、そらんじるには都合よくできていた。
たとえば、「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました/幾時代かがありまして/冬は疾風吹きました・・・」(サーカス)や
「ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ/ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出れくるわ出てくるわ・・・」(正午)のように、いまでもその一節がすぐに口をついて出てくる作品もかなりある。
この「桑名の駅」もそんな作品のひとつである。これは中也の実際の経験に基づいてつくられたということだ。旅行途中で台風に遭い、三重県の桑名駅で立往生したのである。
当時(1935年)の桑名の駅の周りには田んぼが多かったのであろう。私は行ったことはないが、現在は開発され、大きく変わっていることであろう。ちなみに田んぼの中で鳴いているカエルにはアマガエルが多いそうだ。
インターネットで調べていて知ったのだが、桑名の駅のホームにはこの詩の詩碑があるそうだ。三重県の観光案内サイトからその詩碑の写真をお借りして掲載しておく。
ところで、今回この詩を書き写していて、カエルの「鳴く」と「泣く」を使い分けていることに初めて気がついた。最初は誤植かと思って、手持ちの詩集やネットで調べてみたが、すべて第一連と第三連は「鳴く」で第二連のみ「泣く」になっている。おそらく、中也は意図的に書き分けたのだろう。台風で立ち往生した自分の気持ちを第二連の「泣く」に託して表現したのかもしれない。

久しぶりの姫路城
2015.06..02
プライベートの大切な用事があって、姫路まで行ってきた。高速道路を利用すれば、福山から1時間半ほどの距離で、ドライブにはちょうど良い。
用事を済ませて、時計を見るとまだ午後2時ごろ。天気もいいし、最近改修が終わった姫路城を見に行こうと、地元の人に話すと、「今は観光客がいっぱいで並ばないと入れない・・・」という。たとえお城に入れなくても、車窓から眺めることはできるだろうと行ってみると、平日でもお城の前は、車や人でかなり混雑している。晴天のもと、お城は息をのむほど白くきれいに見えた。まるで屋根に雪が積もっているようである。
私が姫路城を最後に見たのはもう15年も前のことである。当時もそれなりに美しかったが、まるで比べ物にならない。外見が白いということは、こんなにも美しく見えるものかと思った。
テレビのコマーシャルにも美白効果を強調した商品がやたら目につく。「色の白いは七難隠す」とことわざにもあるが、女性が白い肌にあこがれるのも無理はない。しかし、白ければそれで充分かというと、いささか疑問が残る。姫路城はもともと城としてのカタチも整った名城なのだ。つまり、スッピンでも美しい城が、おしろいをしてさらにきれいになったといえるだろう。
白ければ、それだけで女性がきれいになれるようなコマーシャルも少し距離をおいて見たほうがいいのかもしれない。


                                       姫路城
吠えない番犬
2015.05.20
今日は我が家の飼い犬「サラ」を紹介したい。柴系の雑種(今はミックスというらしい)のメスで、14歳のおばあさん犬である。地元のリビング新聞に「子犬あげます」と出ていたのをいただいたもので、生後50日くらいのときにうちへきた。
ところが、2年間ほど飼ったところで、事情があって飼い続けられなくなり、妻の実家に預かっていただくことにした。里子に出したようなもので、そこでは知らない人が来たりすると吠えるので、番犬として役立っていた。そこで10年ほどお世話になって帰ってきたのだが、我が家へ帰ってくると、急に吠えなくなった。不審者が近寄っても、じっと見ているだけで何もしない。無駄に吠えて近所迷惑になるよりましだと思ってあきらめているが、番犬にならないので困る。
犬にしてみれば、これまでさんざん働いてきたので、もう番犬はリタイアしました、といったところだろうか。

※上の写真が最近のもの、下は8年前に写したもの。
ホームページリニューアル
2015.04.15
8年前に公開した伝心社のホームページをリニューアルした。今年1月末に事務所兼住居を移転し、それにともないホームページも変えたいと思っていたのが、ようやく実現した。トップページに萩原朔太郎の「竹」を引用したのは深い意味はないのだが、若いときから好きな詩のひとつである。少し文学的な雰囲気のホームページにしたいというささやかな希望は持っている。
朔太郎の詩では、ほかにも好きなものがいくつかある。
その中で「閑雅な食慾」というのを紹介しておく。

閑雅な食慾

松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店(かふえ)をみた
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である
をとめは恋恋の羞(はじらひ)をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である

旧かな遣いで読みにくいところもあるが、「ふほふく」を「フォーク」に書き換えてはこの詩の持ち味が半減する。
2014.5月
マクロレンズデビュー
2014.05.10
仕事柄、デジカメ(キャノン7D)で撮影する機会が多い。被写体は新築住宅の外観や内部写真が中心で、チラシに使うものや施工例写真として住宅会社のホームページで紹介するものだ。したがって、使うレンズも50ミリの標準レンズから、ワイドズームなどが中心である。もう少し変化をつけたいと、マクロレンズ(EF-S60mm F2.8)を買った。とりあえず、庭の草花を撮影してみた。
ハナニラ(花韮) ドイツスズラン
白もくれん 紫もくれん
2014..2月
第2の青春?
2014.2.7
最近バイクに、はまっている。高校時代に自動2輪の免許を取得して、親に買ってもらった90ccのバイクで通学していたことはあるが、それからウン十年のブランクを経て、急にバイクに乗りたくなった。今は寒くてあまり乗らないが、もう少し暖かくなればあちこち出歩くことになると思う。ツーリングの報告などもしたいと思う。

2012.6
民主党の最期
2012.6.23
最近のマスコミは民主党の分裂さわぎでもちきりである。3年前の9月にあれほど熱い国民の期待を受けて誕生した政権なのに、その後は期待はずれの連続で、その総上げとしてこの分裂騒ぎである。小沢一郎や鳩山由紀夫などがマイクを向けられて、党のあり方などについて話しているのを聞くと、「もうやめてくれ!」叫びたくなるのは、私だけだろうか?

2011.9
再びブログ開始
2011.9.13
忙しいこともあって更新を休んでいる間に9月になってしまった。しかし、9月になっても相変わらず暑い日が続きますね。昨夜は中秋の名月ということで、夜に庭へ出て天を見ると、まあるいお月様が雲にかすんで浮かんでいた。昼間は暑いが、夜ともなると、コオロギの鳴く声が耳に届き、体を吹き抜ける風も多少は涼しく感じられる。

2011.5
山陽道「矢掛宿」を歩く
2011.5.7
ゴールデンウィークの5月4日、岡山県の矢掛町へ行ってきた。ここには古い街並みが保存されていて、小旅行をしているような気分になることができる。
いままで近くを通った行ったことはあるが、正式に訪れるのは今回が初めて。規模は小さいが街並みや道路がよく整備されていて、また行きたくなるような街である。
矢掛郷土美術館の水見やぐら
新酒ができたことを知らせる杉玉。民家のように見えたが酒をつくっているのだろうか。 矢掛では、理髪店もごらんのとおり街並みに溶け込んでいる 矢掛本陣、旧石井家、邸内は資料館のようになっている。

送られてきた絵手紙
2011.5.11
大阪府枚方市周辺の文学愛好家が集って発刊している同人誌に「法螺」というのがある。息の長い同人誌で、今年で創刊35周年を迎え、すでに刊行したバックナンバーは64号である。
これは異例のことである。編集発行人のN氏をはじめ、メンバーの方々の文学や創作にかける情熱と頑張りのたまものであろうと思う。
いまから30年ほど前に、私はその同人であった。法螺にも小説やエッセーを発表したことがある。私が在籍したのは2、3年であったが、そうしたご縁で、今年の夏に発刊予定の創刊35周年記念号になにか投稿してみませんか、というお誘いをいただいた。
そこで、遠き青春の日々を思い出しながら、拙文をしたためて送った。そうしたら、N氏が丁寧な絵手紙の礼状を送ってこられた。
このN氏というのは、小説も書けば、詩も書く、そしてイラストなども上手な多彩な方である。法螺の挿絵なども描いておられる。
本人さんの了解をいただいたので、ここに紹介したい。
 
同人誌「法螺」編集長N氏の絵手紙

干拓地の上空を舞うパラグライダー
2011.5.22
福山は広島県の最東部に位置する市である。ちょっと東へ行けばすぐに岡山県の笠岡市に入る。笠岡は人口5万人ほどの小さな市であるが、カブトガニの生息地として全国的に知られている。
広大な干拓地があって、いたるところに草が茂り、春にはひばりが鳴き、夏にはヒマワリが群生する一帯がある。
ここにはパラグライダーを楽しめる場所があって、先日、ドライブしていたら、トンビが空中散歩をするように多くのパラグライダーが空に浮かんでいた。
 
着陸態勢に入ったところ

高度は150m〜200mくらいあるように見えた
ぶつからないかと心配になるくらいの数が空中を舞っていた。ちなみにこの機材一式を新品でそろえると、70〜100万円くらいの費用がかかるそうだ。